サンクスギビングのターキーレシピの話題でアメリカ中が盛り上がる頃、今まで予想だにしなかった『第二の人生』という物を、たった一人、突然に、サンフランシスコのダウンタウンの外れでスタートさせるハメとなった。
連れはまだ、産まれて七ヶ月のムシのような『お猿』‥失礼、ベビー、一人と半っきりである。
日本にいた頃の私といえば、もう三十才を過ぎるまで、自爆霊よろしく産まれ育った福岡にとりついて、海外旅行のパスポートさえ取ることも無い生活を送っていた。
それなのに、今さらこの冗談のような話のスタートだ。まるで、バーチャルリアリティーの世界をライブで見ている心境だ。
まあ、考えてみれば、これまでの私の人生、大なり小なり、どこを切っても似たようなブラックジョークの連続だった。
何ぶんもともと整理整頓大苦手のやりっぱなし人間だったりする。
今まで、人生の整理についても無頓着にやって来た『つけ』が、ここで一気に開花したのだと思えば、この冗談の成りゆきも、自業自得で納得出来ないことはない。
「そら見たことか」と笑う日本の母親の顔が、目の前に浮かんで来るようだ。
そもそも、何でよりによって、こんな間抜けすぎて、かえって人様に話しまくらずにはいられない素敵な人生のシナリオの白羽の矢が、この私になど当たってしまったのだろう?
出来る事なら、丁度季節もいい頃だし、商店街の年末クジの『ハワイの旅一週間御招待』くらいに置き換えてくれるととても有り難い。
‥しかし、いつまでこんな無駄話で逃避していても仕方がない。
ここらでそろそろ話の幕を開く事にしよう。
まず、月並みなスタートではあるけれど、何故今私がこんな所でこんな事をやっているのか?
その答えは、『アメリカ人と結婚したから』‥である。
ここまではよかった。うん。
しかし、たまたま結婚しちゃったこのアメリカ男というのが、何と、今流行りのアビューシブなヤツだったりしたわけで、私の初のアメリカンライフ、『ドメスティックバイオレンス』などという、最先端の横文字環境の中で封を切られる事となった。
あ、ここで、誤解の無いように申し上げておくけれども、私には決して変な趣味があったりするわけではない。
この『前夫』、今でこそ顔を見る度に、ヘビと何とかの三竦みよろしく妙な感情に取りつかされる男だけど、結婚前には全くの別人だった。
白人男の至れり尽くせりのサービスぶりで、『世界でこれ程優しくて、ロマンティックな男はいないわ』などと、今考えると、背中が痒すぎてひっくり返らずにはいられない錯覚を信じさせてくれるジェントルマンのはずだった。
‥その結果がこれである。
まあ、巷では、こんな間抜けな話などいくらだってありふれてたりするのだけれど、しかしそうは言っても、まさか、これ程の男の豹変振りを目の当たりにする機会が、よりにもよってこの自分の身の上に降り掛かる事になろうとは‥。
神の公平さというのも、時にはありがた過ぎてはた迷惑なものである。
まあそれも、結局迷える小羊を、神が正しい方向へと導くべく、人生の有り難いお勉強とやらを与えて下さっているのだと思えば、少しは謙虚にこの状態を受け止める事が出来るのかもしれない。
何しろ、時々ガツンとやらねば、空の彼方にまでも舞い上がりかねないヤツなのだから。
そんなわけで、渡米後最初の一年間は、サンフランシスコの東のヘイワードで、毎日みっちり『我慢大会』のトレーニングを積むような時間が過ぎて行った。
全く、アメリカ人というのは何をするのも半端じゃなくて、夕食のテーブルをひっくり返すも、漏れなくフルジェスチャー入り馬耳雑言のおまけ付き。
『よくあんなパワーが出せるなあ』なんて、ただただ感心させられる毎日だったりしたのだけど。
しかし、そんな暢気な事を言ってられるのも、まだまだ旅行者気分の抜け切らない、外国生活初心者マークの頃だけだ。
毎日目の前で展開されるスリルとサスペンスに満ち溢れた時間の中、次第に『このままいたら殺されるかなあ?』なんて思いに駆られ始め、それでついに、茹だるような真夏のある日、トランク一つと、小さなカーシートに詰め込んだ、まだ産まれて四ヶ月しか経っていない『お猿』だけを両手に抱えて、さっさとここ、サンフランシスコにあるアジアン・ウーマンズ・シェルターにまで逃げ出して来たわけである。
シェルターでの生活は、中にいる避難居住者たちの安全を考えて、厳しい秘密主義が貫かれている。
十年間一緒に仕事をしているという弁護士事務所にさえも、そのロケーションは知らされてはいない。
私もここで、その詳細を書くのはやめておこう。
しかし、ただ一つだけ言っておきたいことは、そんな組織のパワーという物は偉大な物だ。
こんな外国生活、増してや、全く新米ホヤホヤ、ビギナー組ママさんの私でも、シェルターでお世話になる事が出来た三ヶ月の間に、サンフランシスコに合法的に滞在するビザ、親権の裁判の手配、これから言葉さえもろくに通じない、初めての外国生活に、ベビーとたった二人で放り出される準備を整えてくれた。
今日は、お世話になったシェルターを出て、いよいよ小さなベビーと二人っきり、この遠い外国のダウンタウンで新しい暮らしを始める日だった。
午後も遅い時間、ボランティアに助けられて、この小さなアパートメントへと移って来た。
引っ越しは、別にこれといった荷物も無く簡単に済んだ。
一通りの仕事をし終えると、手伝ってくれた皆は、次の仕事に向けて忙しそうに帰って行った。
三ヶ月間、家族のように助けてくれた彼女達も、もう、これからはお互いに連絡を取り合う事も無い。
周りから人の影が消えてしまうと、何もかもが見知らぬ空間の中、たった一人、ポツンと置き去りにされた心細さが襲って来た。
家具も無いがらんとした白い箱。
『こんな所で何をやっているんだろう?』
不安とも恐怖とも、何とも形容し難い感情の塊が身体の中を突き上げて来る。
家族も友達も、知ってる人たちは皆、遠い遠い場所にいる。
明日からは、この不思議の街で、たった一人の生活が始ってしまう。
暗い路地の片隅に、一人ぼっちで取り残された捨て犬の心細さが身体中に滲みて来るような気がした。
‥とその時、
「ファイヤエ~~~‥」
静まり返った部屋の中に、突然生の抜けた音が響いた。
思わず目が走る。
そこには、小さなベビーチェアの中で、手足を大の字に広げたお猿がぐっすり眠りこんでいた。
さっきまで、珍しそうにあちこちを指差しながらはしゃいでいた彼女も、いつの間にかコトンと寝入ってしまったようだ。
『ヘイ!大丈夫だよ。私がここにいるよ。』
微笑みがふっと顔に浮かぶ。
荷物を整理する手を休め、プクプクしたホッペをつっ突いてみる。
気分が少し軽くなった。
色々思い悩んだ所で、時間は同じように過ぎて行く。
とにかく今は立ち止まらずに、恐る恐るでも目の前のドアを開け続けて行こう。そこで待ってる何かは、これから先の『お楽しみ』。明日からはまた新しい一日が始る。
この小さな腕が私に向かって開く限り、何だか頑張れそうな気がした。
アパートメントの部屋がようやく人の住める状態に整って、少しづつ新しい生活のリズムも回り出すかと思えた頃、ドーンと震度七級のホーム・シックが襲って来た。
自分でも、かなり阿呆な姿を曝しているなあとは思うのだけれど、もう、何を見ても、ホームタウンの福岡を想い涙涙に暮れる毎日。
耳に入る英語にさえも、胃が拒否反応を示しムカムカ。
サンフランシスコにこれといって怨みがあるわけじゃないけれど、実際もう、外の景色を見るのもノー・サンクスといった気分である。
しばらくそうして、ただひたすらに気分が落ち込む日々を送っていると、ワシントンのサチコさんからEメールが届いた。
『ネットの友達募集の掲示板に、アドをのっけてみたら?』
サチコさんとは、まだヘイワード生活を送っていた頃に、ネットの中の、外国在住日本人関連のサイトを通して知り合った。その頃の彼女はまだ佐世保にいて、ネイビーにいるアメリカ人の元旦那と、日本とアメリカを行ったり来りして暮らしていた。
不思議な事に、その頃から私達二人の境遇は、驚く程似たような経過を辿って来た。
そして、私がサンフランシスコのシェルターに逃げ出した頃、彼女も三人の子供を連れて、ワシントンまで逃げ出して来た。
それからこの半年間というものは、お互いに、つかず離れずメールの交換を続けている。
ワシントンで、新しい生活に右往左往する彼女の様子が、私がサンフランシスコで送る時間と不思議な程にだぶって来る。どちらも、誕生日がたった二日しか違わない魚座組さんである。こんな運命の類似性を見ていると、『案外星占いも侮れない』なんて、ひしひしと感じてしまう今日この頃だったりする。
「私も最初こっちに来てから、友達の勧めでネットにアドを出してみたの。
最初は日本人の感覚で、『ちょっとネットで友達募集だなんて怪しいかなあ』なんて思ったりもしたんだけど、やっぱり見知らぬ土地で、しかも、子供三人も抱えて、一から人に会って行くってのは大変な事でしょう?
でも、いざ思い切って、そこから色んな人たちと話を始めたら、『自分の位置』っていうものが分かり出した。
こっちでは日本と違って、ネットで出会うって感覚も、もっとカジュアルに定着してるみたいだし。
とにかく、見渡す限り何にも見えない大海原に、一人でポツンと浮かぶような心細さからは解放された感じですよ。」
ここ暫く止まっていた時間の中に、『あと一人の私』の声が響いて来た。
それから二、三日悩んだ末、私もその掲示板に、初めて『友達募集のアド』なる物をのっけてみる事にした。
正直言って、これはかなりの大冒険。
『何人か返事を貰ったら、その中から気が合った人二、三人見つけて友達になれればいいかなあ‥‥』なんて、我ながら最初は、そんな『謙虚さ』を全面に押し出しながらの小さなドキドキのスタートだった。