ところが実際フタを開けてみると、その反響の凄さには驚いた。
とにかくアドを載せた日の夕方からは、『来るわ来るわレスポンス!』ってな感じで、それこそ怒涛のように返事のメールが押し寄せて来た。
まだ日本にいる頃冗談のように、『日本女性は、こちらでは物凄くモテまくる』という話を聞いていた。しかし、実際もう三十も半ばの子持ち昆布女に、これ程までに情熱を注げるサンフランシスカン男たちのパワー‥‥。それは一体、何をもって湧き出て来たりするのだろう?
マクドナルドのハンバーガーやスターバックスのコーヒーには、恋の媚薬でも入っていたりするのかしら?
ついでに言うと、彼らの辞書には『謙虚』といった文字などは皆無のようだ。殆どの手紙に、'i am handsome'だとか 'attractive!' 'good looking!'など、しっかり『自分で』書いてある。
百歩譲って彼らの言うことが本当だとしよう。
それじゃあまるで、このサンフランシスコ中が、絶世の美男子だらけという事になってしまうのではないか。
ちなみにこのattractiveという単語、魅力的な人を形容するのにこちらではよく耳にする言葉だ。
しかし、いったい彼らが書く自分のattractive度具合というのは、誰から見たattractiveなのだろう?『自分自身』からなのか『友達』からなのか、はたまた『女性』からなのか、それともたんに『お母さん』からなのか‥。
それによってもこのattractive度、随分違った物になって来ると思うのだけれど。
この次、またこういうアドを出す機会が来るとすれば、ここの所、はっきり明記するようにお願いするのを忘れないようにしよう。
サチコさんがくれたアドバイスメールの中には、これまでの、彼女自身の体験談が幾つか書いてあった。
十年前のスリムな写真を送って来て、いざ待ち合わせ場所に行ってみると、とんでもないおデブがそこにいた。驚いた当のサチコさん、さっさと人違いのふりを決め込んでそこから飛ぶようにして逃げ帰って来た。
‥とか、その他にも、ガソリン代も払えなくて、待ち合わせ場所まで来る事が出来なかったスタービング・アーティストの話‥。
そこまで貧乏しているんだったら、友達捜す前に仕事さがせよ!
何だかもう、笑ってよいのか真剣に聞いておくべきなのか‥。この冗談のような『先輩』のアドバイスを参考にしながら、これから自分なりに、この新しく手に入れたおもちゃ箱の中身をのぞいて行こう。
どんなものが隠れてるのか、それは後でのお楽しみ。
今日から十二月が始る。
サンフランシスコの街はクリスマスに向けて、もうすっかりお色直しを済ませてい
る。
アメリカに来てから初めて一人で過ごすクリスマス。
日本で過ごした賑やかな季節の思い出が、過去の時間に埋もれて行く。
今日はお猿をデイケアまでお迎えに行く途中、ちょっと寄り道をして、ビーチまでやって来た。
最近、救いようのなく気分が落ちこんでしまう時には、ただひたすら海を見に行く。
日本庭園や美術館、乗馬クラブなどを、すっぽりその森の中に覆い隠すゴールデン・ゲート・パークの横を走り抜け、ミュニ・バスが終点に近付くと、目の前には突然、銀色に輝く一面の波が飛び込んで来る。
海鳥たちが飛び交う蜂蜜色の砂浜では、銀色に染まった逆光を浴びて、そこを行く人々のシルエットがゆっくりゆっくり動いている。
潮っぽい風に体を抱かれながら、海岸線を見下ろすコンクリートの壁に腰を掛けて時間を過ごす。
雄々とよせる波しぶきの中に、ちっぽけな自分が溶けて行く。
いつものように海岸線の壁によじ登ると、『今年ももう終わりだね』とでも言うように、海から冷たい潮風が顔にぶつかって来た。
スエットのフードを被り直し、波打ち際に目を向ける。
そこでは、ヨチヨチ歩きのベビーがママに手を引かれながら、ぎこちない動きで大きな犬たちと遊んでいた。
思わず口の端が弛む。
その、まるで緩んだゼンマイが仕込まれたような頼り無い動きを見ていると、ふいにお猿の笑い声が、耳のすぐ横で聞こえたような気がした。
いつもは、絶えることなく、人が行き交うオーシャンビーチの砂浜。
今日は、風の冷たさのせいか、海岸線にはこの親子以外の人の姿は見えない。
ただ眩しく輝く波だけが、強く柔らかく、ボレロのように同じリズムを刻みながら、静かに日の暮れの海の風景を描いている。
「ふふふ‥。」
微笑みが、ふとこぼれてきた。
私にも、今では無条件で自分を必要とする小さな存在がいてくれる。
凍えた身体が、中からほんわりあったかくなった。
大きな波が、遠くからゆっくりと寄せて来て、あたり一面、透き通る水のベールで覆った後、また海に向かってゆっくりと引いて行く。
パチパチ弾ける白い泡が、心の引き出しを開けて行く。
空に透ける水平線。時間の記憶が蘇える。
お猿の誕生。
この世界の中で、自分が一番ではなくなった日。
昨日の事のように感じるのに、また、遠い昔のようにも感じてしまう。
彼女がこの世に産まれた日、私は命の神秘を知った。
昨日まで、ウンともスンとも全く気配のなかった物が、全く予定日ぴったりの朝、突然バスルームで破水した。
ショックな気分に浸る暇もなくそのまま病院に駆け込むと、もう、そのたった二時間後には、産まれ立てホヤホヤの小さな小さな『ヤツ』の体は、私の腕に抱かれていた。
この几帳面な性格といい、せっかちな誕生の仕方といい、まるでそこには、これからの彼女の人生が語られているようではないか。
何しろ、ドクターに痲酔をうってもらってから、そのもう十分後には、さっさとママのお腹から出て来ていた。へたをすると、無痛分娩の痲酔も間に合わない所だったのだから、そう考えると、今さらながら『ちょっと恐い』‥。
ちなみに、この痲酔を使った出産というのは、まだまだ日本では『危険だ不自然だ』と、あまり諸民権のあるものではないようだけど、ここアメリカでは、もう大部分の出産が、普通にこの痲酔を使った無痛分娩で行われる。
もちろんこれは、本人の希望を確認した上の事ではある。
まあ、何を隠そう私自身、妊娠当時はその頃流行りの『水中出産』なる物に甘いロマンを求めていた口ではあった。しかし、ヘイワードの『ど』田舎で、ラマーズ法など洒落たものをやってくれる病院を捜すのは難しい。結局最後には、『元夫』フレッドの言うことに従って、しぶしぶ痲酔を使った出産をOKする事になった。
しかし、一旦陣痛が来てみると、この時ばかりは最初で最後、フレッドと、その田舎の選択肢の無さには、心から感謝する事になった。
とにかくあの陣痛の痛みといったら‥、ただ一言、『痛かった』で済ませてしまえるような代物ではない。敢えて、その『痛さ具合』を今ここで言えと言われたら、
『十年分の生理痛が一度に腰を襲い、まるでそこからティラノザウルスに下半身をもぎ取られて行くような物凄い痛み。』
‥とにかくそれまでの人生の中、想像しようもなかった程の『猛烈』なる苦しみだったと言ってもまだ足りない。
別に、世の中の妊婦さんたちを脅かすつもりでこんな事を書いているのではないのだけれど、それが正直な所、言わずにおけない私の本音だったりする。
『痲酔無しのお産なんて、痲酔無しで外科手術を受け身体を切り刻まれているのと同じである。』
これは、出産を経験した女性なら誰でも、二つ返事で同感して頂ける意見だと確信する。‥‥イタタタ。
所でなぜ、無痛分娩で出産をする筈だった私が、こんな陣痛体験などさせて頂く羽目となったのだろう?それはまた、ここアメリカでのお約束、病院に着いて分娩室に運び込まれた後、そこからは当然のように、痲酔のドクターが遅れたからだ。
お陰様でこの私、幸か不幸か、この有り難い貴重な人生経験とやらを、選択の余地無くしばしの間満喫させて頂く事となった。
大昔、『ご先祖様』が、神からの言い付けを破ってリンゴを食べたその罰に架せられたという陣痛の苦しみ。しかし、これではあまりにも、理不尽な話と言えるのではないのだろうか?
何故、そんな顔も存じ上げない遠い過去の『親戚』の罪が、今だこうして私の上に廻って来たりなどするのだろう?
固い分娩台にのぼり、ひたすら火を噴く怪獣のように叫びまくりながら、お馬鹿な疑問が頭の中をさまよった。
暫く置いて、ようやく痲酔のドクターが部屋に駆け込んで来てくれた。
「あ、ごめん。」
そんなお間抜けな台詞にも怒りを返す余裕はない。とにかく百本でも二百本でも、早く痲酔をうってくれ!
それからすぐに、海老のように丸めた背中に、ズーンと痲酔の針がうたれた。そうした途端にあら不思議。針が抜かれるのを待つまでもなく、それまでの痛みは嘘のように薄らぎ、下半身からは、やけにポカポカ、少しラリったような、何とも言えない好い気持ちが満ちて来た。
『地獄から天国に一気に引き上げられた気分。』
まさに、地獄に仏とはこういった事を言うのだと、妙に実感させられた瞬間だった。
痲酔を終えると、その後はもう、それまでの痛みや苦しみは魔法のように消え去っ
た。それまでただの煩い騒音でしかなかったナースたちの英語の指示も、余裕で耳に入って来た。
痲酔に使う薬には、笑気ガスでも入っていたりするのだろうか?
ポカポカ下半身に感じるいい気持ちには、何だかもう、笑い出したくなってきてしまう。
しかし、そうは言ってもお腹の中では、何やら『巨大な物体』が、途中、何度も止りながら、下へ降りて来るのが分かってしまう。
それも、よくある例えの『便秘でなかなか出なくって、とっても苦労のあの感じ』。
失礼。
その身体の中に感じる大きさに、『やっぱりこれが痲酔無しだったら、とてもこんなふうに冷静に構えてなんかいられないよなあ‥。』なんて暢気な事を考えながら、人生初の大仕事はいよいよクライマックスに突入した。
ついにベビーが出て来た瞬間。
そこに初めて見た我が子の姿は‥、何だか大きなカエルが大の字逆さまで、『へーン!!』っとドクターの手からぶら下がっているような感じだった。
ホヤホヤと湯気があがるグニャグニャした身体のあちこちには、まだ白い脂肪の膜がくっ付いている。ヘソからのびるヘソノウの、そのネオン管よろしい鮮やかな蛍光グリーンの美しさといったら‥。思わずナースに、『そのヘソノウごと記念に欲しい』などとお願いしそうになった。
まあ、何はともあれこうして無事に、五体満足の姿でお腹から出て来てくれた『お猿さん』。産まれた時の体重は、たった五パウンド二オンスの、アメリカ社会の中ではとても小さなベビーだった。
手にとった瞬間、ドクターからは『ピーナッツ』と呼ばれ、病院にいる間中皆からずっとそう呼ばれていた。
こうしてまるでひと事のように迎えた『お猿さん』との初顔合わせ。私としては、もう少しか細く震えるような、可憐なベビーの姿を期待してたりしたのだけれど‥。まあ、この自分が母親である事実を考えると、彼女にもそれなりの言い分はあるだろう。
さて、以前の私は、女であればベビーをもったその瞬間から、本能的に母親になれるのだと信じていた。
しかし、実際それを体験して言える事は、ベビーがお腹から出て来る瞬間なんて、そんなドラマのシーンにあるように、大袈裟な感動で涙してる体力なんぞさらさら残ったりしてる物ではない。ただただヘトヘトに『ヘーッ‥‥』と気が抜けて、とにかく後は、ゆっくり大の字で休ませて頂きたいだけである。うーん‥。
憧れていた、『ベビーが産まれた瞬間、人生が変わっちゃう程の感動!』なんて物は、もう、どっかの想像力の有り余ったタフな女性たちに勝手に任せておきなさいという感じ。
しかし、こんな初心者マークのビシバシ入った母親でも、初めてベビーを腕の中に抱いた瞬間から、毎日毎日、数時間刻みでミルクをあげてオシメを替えて、泣くのをあやしてお風呂に入れて‥。そうやって、自分の体から産まれて来た小さな小さな存在を、大事に大事に守りながら一緒に時間を重ねて行く内、いつしかゆっくり歩くように、掛け替えのない絆が刻まれ始めた。
まだ、ムシのようにちっぽけなこのチビ助けが、いつも笑っていられるように。そしてまた、それが励みとなって、明日を頑張る力が沸いて来るように。
人は親になる事を、ずっと時間をかけて学んで行くのだと思う。素質の違いはあれど、生まれついてのベテランママなぞどこにもいない。
そんな事が、お猿を持って初めて分かった。
こんな大切な時間も、いつしか記憶のアルバムに埋もれ、これまでゆっくり思い出す事も無かった。 今、私がこうして一人のベビーのママをしているだなんて、未だに世界のミステリーである。
海岸線にはいつの間にか、また人の姿が見えて来た。
さっきの母子のシルエットは、すっかり消えてなくなっていた。
オーシャンビーチのかける魔法。
パッと瞬きをした隙間から、不思議な幻をのぞき見た。
人はここで、大きな海に抱かれながら、束の間の休息を過ごしまた日常に戻って行く。
そろそろ日も暮れて来る。お猿を迎えに行くとしよう。
『今日』という時間に何が起ころうとも、また、『明日』という新しいドアが開かれるのを待っている。
恐れずに進んで行こう。
大きな物に包まれながら。そして、腕の中にある小さな物を、大切に大切に守りながら。