前回のミーティングから長らくの時間を置いて、今朝やっと弁護士事務所から、VAWAのビザ申請の手続きに取り掛かるという連絡を受けた。
この、私がお世話になる『日本町アウトリーチ』は、サンフランシスコのジャパンタウンを拠点とした、非営利で法律問題の相談をしてくれる弁護士集団だ。
彼らには、シェルターにいる時から、ベビーの親権問題や、その他法律問題に関して助けてもらっている。
しかし、何しろこの事務所は非営利だという事もあって、とにかくそこにいる弁護士全てが忙しい。普段、何か問題が起こってこちらから事務所に連絡を取ろうとしても、担当弁護士に直接電話が繋がるなんて事は、奇跡に近い神業である。
通常は、受付で回してもらう彼らのボイスメールにメッセージを残し、その後は、ただひたすら向こうからの連絡を待つというパターンが殆どだ。
だが、待つとは言っても、もちろんここはアメリカだという事を忘れてはいけない。ただぼーっと待っているだけでは、欲しい物は何も手に入らない。
なかなか相手からの返事が入らない時には、何度も何度もボイスメールに同じメッセージを吹き込んで、自分がどれだけ困っているかを切々とアピールする位の厚かましさと、パフォーマンス力は、生活の基礎知識として持ち合わせておいたほうがいい。
サンフランシスコに来てから、何だか妙に、『鳴かぬなら、鳴かせてみせよホトトギス』という言葉が頭の中を通り過ぎる今日この頃だったりする。
まあそうは言っても、実際このアウトリーチには、ボランティア精神に富むエナジー溢れるアジア系弁護士たちが揃っている。特に、彼らは虐待関係のケースには強く、今まで負けた裁判などないそうだ。
今日電話をくれたのは、私の担当弁護士のインターンアシスタントをしているティファニーだった。彼女は中国系二世のアメリカ人で、まだ、ロースクールの最終学年にいる二十歳そこそこの若者だ。しかし、事務所で見る彼女の姿はキリリとスーツに髪を結い、もう、なかなかローヤー振りも板に付いている感じである。
早速彼女からは、VAWA申請の為の、山のような資料集めの『宿題』を申し付けられてしまった。
ところでこの『VAWA』というのは、これはつまり、バイオレンス・アゲインスト・ウーマンズ・アクト。家庭内暴力を受けて、その配偶者から逃げ出して来た外国人女性の為に設けられるビザ枠の事だ。こちらで産まれた子供がいたり、事情があって、自分の国に帰る事が出来ずにこのアメリカに滞在する必要のある外国人女性たちに適用される。
シェルターに入ると、ビザを持たずに逃げて来た女性たちは、最初に、このVAWAを申請する事になる。そしてそれが移民局に認可されると、そこからグリーンカードの手続きが、このVAWAを元に進められて行く。
通常、グリーンカードの申請をする場合、米国市民や会社の雇用主などのスポンサーを必要とするケースが大半だ。しかし、一旦このVAWAが承認されると、グリンカードの申請は、自分自身をスポンサーとして移民局に書類の提出が出来るようになる。
しかし、もちろんこんな魔法のようなVAWAのビザも、無料でくれる物ではない。
今日、ティファニーから申し付けられた資料のリストを並べると、しっかりレポート用紙、びっしり1枚分以上にもなった。
ちなみにその内容といえば、出だしにある、戸籍やパスポートのコピーは、まあお安いご用だとしておこう。
しかしその後には、日米両国における過去の無犯罪暦の証明レポート、指紋登録、結婚していた時に撮った写真やベビー誕生に関する証明資料、一緒に住んでいた事を証明する郵便物、夫婦共同銀行口座のナンバー、ウンヌンウンヌン‥と続いて行く。
元来、『無精』が服を着て歩くこの私、果たしていったい、これを全部集めるのに、何百年かかってしまうのだろう‥。
実際、この時点でもう既に、かなりヒトゴト・モード入る気分である。
しかし更に容赦はなく、この『ティファニーのリスト』、まだまだ果てなく続いて行く。
移民局に出す証人達の証言、結婚や家庭内暴力の様子をレポートしてくれる友人たちの手紙。そして当然のごとく、それら全ての英語訳。
うーん。もう冬眠にでも入ってしまいたい気分‥。
ええーい!とにかく今は、そんな事を言ってる時じゃない。
母は強し!お猿とこれから暮らして行くには、何としても、このVAWAが承認されなければ困るのだ。
今のこの私の身、生かされるも殺されるも、州法律様のお心一つにかかっている。
シェルターに逃げた後、離婚や親権の裁判は、自動的にカリフォルニアの法律で進められる事になった。その為、お猿の親権についても、彼女が十八才になるまでは、父親の権利も尊重されて、母親だけが娘を連れて勝手に日本に帰るなどという事はもう出来ない。
もし仮に、強行突破でそういう事をしようものなら、『キッドナップ』、つまり、誘拐の罪で起訴される事にもなりかねない。
特にあのフレッドの事、下手な事をすると、次にはいったい何を仕出かすか分った物ではない。
そんなわけで、今の私の生活には、ビザの問題に加えてこの親権の問題も重く重くのしかかっている。
アメリカの法律というのは州ごとに違うのだけど、このカリフォルニア州の法律では、子供の親権は基本的に両親で分けるという考え方がある。お陰様で今の私、サンフランシスコを離れてアメリカ国内のどこかに短い旅行をする時でさえも、ベビーを一緒に連れ出すのには、『父親』のサインが入った書類を持ち運ばなければいけない始末である。
ベビーを連れて日本に帰るという事も、『父親』の同意がもらえれば話は別なのだけれど、まあ、あの阿呆のフレッドが、そんな同意書などに喜んでサインしてくれるとは思えない。
今まで、このような『スポコン魂』とは無縁の人生を送ってきた私だけど、これからはそんな事も言ってられない。
特にこのアメリカでは、コートで人の情けなど期待するのは、ネコにお手を期待するのと同じことだ。
判事の判決が出た瞬間、自分の娘の顔さえも一生見る事が出来なくなるような緊迫感と厳しさを、これまでイヤという程実感させられて来た。
三十の半ばにして、産まれて初めて、『法律』という物の力の絶対さを思い知った私である。
のっけから頭がクラクラして来る資料集めではあるけれど、いつまでぼやいていても仕方がない。
小さな頃から込み入った仕事をしようとすると、いつも最後には必ず収集が付かなくなり、途方に暮れるのが得意な私だった。そんな私を見兼ねて、まだ今の私と同じ位の年だった母親が、幼い私に魔法の言葉をくれた。
『簡単な事から取り掛かってみよう!』
当たり前のことだけど、簡単な事からリストを作って一つ一つ取り掛かって行くと、何となく物事が自然に片付いて行くような気がする。
人間の『刷り込み』とは恐ろしい物で、幼い頃に聞いた、こんな親の言葉を今でも忠実に守りながら、辛うじて、人並みの作業効率を保持出来ている私である。
そんな事を考えながら、今、自分の娘となったお猿の顔を見る。
これがまた彼女も、母親に負けず劣らず、かなりののんびり屋さんのようだ。
母から貰った魔法の言葉、どうやらこれからファミリーの歴史の中で、母から子に受け継がれる言葉となって行くようだ。
『簡単なことから取り掛かってみよう。』
さて明日は、ダウンタウンの日本領事館まで、離婚証明書を取りに行くことにしよう。
最初は一人と半分きりで始めたサンフランシスコの生活にも、最近では、少しづつ話をする友人ができて来た。
ひと月前には、カレッジの廊下でばったり、シェルターで一緒だったヨンに再会した。
韓国から来ていたこの彼女とはなぜだか妙に気が合って、シェルターでは、夜、お猿が寝てしまった後、二人でよくかたまって、遅くまで喋っていた。
ヨンの元旦那というのも、これまたひどいヤツだった。
彼女がシェルターに逃げ出すと、彼女の荷物を一切ゴミ袋に詰め込んで、ジャパンタウンの弁護士事務所に投げ込んで行ったというろくでなし。
夜一人、そのゴミ袋の中から、乱暴に放り込まれてクシャクシャになった真っ白なウエディングドレスを取り出して、丁寧にアイロンをかけて整えていた、彼女の悲しい横顔を今でも覚えている。
この頃ではヨンも、たまにふらりと私のアパートメントに立ち寄って、しっかり晩御飯を食べて行くようになった。
ヨンの新しい生活も、ここサンフランシスコで始ったばかり。前向きな彼女を見ていると、私ももっと頑張れるような気がして来る。
また最近では、日本にいた頃『メルトモ』していたジョシュアにも、ここサンフランシスコで会うようになった。
彼とのご縁も、これまたちょっとした神様の悪戯だったりする。
ジョシュアとはまだ、私が日本でインターネットを始めてホヤホヤだった頃、ー今考えると赤面物のー、ペンパル掲示板のコーナーか何かで知り合った。偶然にも、私が産まれて初めて『外国』に向けてEメールなる物を書いた、『遥か遠い異国の外人さん』だった‥筈である。
しかしそれから私の人生、ちょいと間違って足を踏み込んだジェットコースターのレールの上で、突然それがとんでもない方向に向かって暴走を始め、はっと次に気が付いてみれば、‥いつの間にか、ここ、遥か遠いサンフランシスコの街角で新しい生活が始まっていた。
それまで『宇宙の果てにある異国のペンフレンド』だったジョシュアは、たまたま、このダウンタウンから車で二十分程南に下がった海岸線の街、パシフィカに住んでいたりしたわけで、結局、以前、二人の間にあった、『何百マイルを越えた友情』などというロマンティックなファンタシーは、呆気無く消えて無くなった。
今では、その彼がこうしてトラックの横のシートに座り、窓から立てた中指で他の車を罵倒しながらフリーウエイを運転していたりする。
人の縁の行方なんて、どこでどうその糸が絡まり合っているのか、予想もつかぬ物である。
しかしまあそんな神様の悪戯も、強ちただの偶然だと笑ってばかりもいられない。実際、このジョシュアの存在は私にとって、まだ右も左も分からないこの異国の地で、貴重なカーナビを手に入れたような物だった。
アメリカでのお約束、週末の、山のようなグロースリーショッピングも、気が向けば彼のトラックで黙々と手伝ってくれる。
アパートメントでは私が何かを壊す度に、電話一本で駆け付けて、片っ端から直して行ってくれたりもする。
『一家に一台』、女性の一人暮らしには、なかなか小回りのきいた大変重宝なヤツである。
最近では、彼に電話をする度に、受話器の向うの寝惚けた声の第一声は、"hey, what did you break today?"
‥とほほ。
ところで、ジョシュアの鼻には誇らし気にデーンと大きな傷跡がついている。
普段は気のいい彼も、基本的には血気盛んなヤンキーボーイ。昼間はサン・ホゼのトヨタのディーラーで『おとなしく』メカニックなどやっていたりするのだけど、週末の夜には男友達とダウンタウンのバーにくり出して、飲んで騒いで、他のクループと喧嘩ばかりしてる仕様のないヤンチャ坊主である。
鼻の傷は、そういった喧嘩の最中、割れたビール敏で殴られてできたそうで、全く、『お前は軍鶏か!』と一言聞いてみたくなる奴だ。
しかし、そんなアグレッシブな外見の下には、自分の家族や友達をとても大切に思う優しい顔が隠れている。何より、ウチのお猿と大の仲良しだ。
新しい玩具が手に入ると、ちっぽけな彼女と夢中になって遊んでいる。お猿もすっかりそんなジョシュアに懐いている様子で、不思議な組み合わせではあるけれど、なかなか見ていて微笑ましい。
先週はまた、ベビーの親権のコートでヘイワードまで呼び出された。
アメリカに渡って最初の一年を過ごしたヘイワード。後から聞いた話では、ここはベイエリアの中でも『インダストリアル地帯』と呼ばれる場所になっていて、環境も、その北にあるオークランドに次いでよくない場所だったりしたそうだ。
サンフランシスコに来てからは、皆が口を揃えて『よくあんなとこで、今まで生き延びてこれたねえ。』なんて‥、当のアメリカ人たちにも感動されまくってしまう始末。
まあそんな周りの反応も、今考えれば至極当たり前の物である。
ヘイワードの暮らしの中では、夜になると、寝室の壁の向うで始るガンファイトの音がお約束だった。
少し前に、日本で生まれ育ったアメリカ人の女の子が、家族でアメリカに帰って来た途端連れ去られ、その死体が、サン・ホゼの山中で発見されたという事件があった。その、被害者の少女が連れ去られた通りというのが、何と、ウチのアパートメントのすぐ前の大通りであったりした。
それから何日も経たない内に、今度は、何ブロックか先の家の玄関先で、高校生が同級生を銃で撃ち殺し、辺り一帯、野次馬の人だかりが出来ていた。
毎日、何かしら三面記事の話題作りに大貢献のヘイワードである。
『恐い物知らず』の裏側にあるのは、結局『無知の浅はかさ』。
街に暮すアメリカ人なら誰もが後込みするようなこんなシュールな環境にいても、私は素直に、『これがアメリカだ』と思っていた。そしてまた、夜などふらふら結構一人でコンビニなどに出歩いてたりしたのだから、今考えるとちょっと恐い‥。
お陰様で、今ではそんなナイト・メアも遠い過去の一ページになりつつある。
まあ暫くはまだ、こういったコートの問題で、完全にご縁を断つに至るまでには長い時間がかかりそうなのだけれど‥。
さて、いつも気が滅入るこのコートへの出頭。今回は、丁度仕事がお休みだったジョシュアが、応援も兼ねて、ヘイワードまでのアッシー君を申し出てくれた。
他にも、シェルターからスタッフたちが応援に駆け付けてくれ、最近仲良しになった通訳のヨーコさんも、この日は自分の担当じゃないにも関わらずわざわざバークレーから出て来てくれた。
人というのは暖かい。
いつもはかなりブルーの入るこのコートでのヒヤリング。今回はそんな盛り沢山の応援に励まされて、勇気百倍元気が出た。