ヘイワードのコートでは、朝の開廷と同時に、五つ程あるコートルームに約十組ずつのカップルが割り当てられて、そこで順送りに判決をもらう仕組みになっている。
順番を待つ他の組が後ろで聞いてる中、名前を呼ばれる順に判事の前に進み出て自分たちの問題を話して行く。
さすがにファーストフードのドライブ・スルーを産んだ国、つい思わず、『ポテトも付けて下さい』なんて言いたい衝動に駆られてしまう。
コートルームに入ると一番に、デーンと正面に掲げられた大きな星条旗が目に飛び込んで来る。そしてその右横一段高い所に、丸いドーム天井から落ちる厳かな光を浴びながら、重々しい、立派な彫刻の施された判事の座る席がある。そこに黒衣装姿の判事が登場すると、審判の席にいる者一人一人が名前を呼ばれて起立をし、左手をあげて宣誓を述べて行く。
一見、何ともドラマティックな光景が展開する。
しかし、そんな気高い演出も、このヘイワードにかかっては全てが空振りに終わっているような気がしてならないのは私だけだろうか?
まるで古い教会のようにピンと張り詰めた威厳をたたえるこの法廷の雰囲気も、そこに集まる人たちにとっては、全くの『ブタに真珠』でしかないようだ。
映画の中に見る、パリッとスーツに身を固め、颯爽と廊下を行き来する人たちの姿なんて、いったいここでは、殆どが、弁護士やコートの職員といった特別な人たちのユニフォーム。一般に裁判を受けに来る人たちといえば、『ちょいと隣の家にでも遊びに来ましたよ』とでもいった風なヨレヨレのジーンズに擦り切れたジャケット。極めて素朴な『田舎の面々』が並んでいる。
初めてこの法廷に来た時には、そのあまりの裁判のカジュアルさに、気分も全く拍子抜けした。
しかし今ではこういった様子にも慣れっこだ。こんな彼らの気楽さも、基本的にアメリカ人にとっての裁判なんて、トイレに行くのと同じ位の日常だったりするのだろうと、一人納得する今日この頃である。
おまけにそんな彼らの中には、裁判に弁護士もつけることなく、自分で捲し立てまくる輩がいたりするのだから、何とも長閑な物である。
さて、そうして朝も早くから順番を待つこと三時間。時計の針が、もうあと十五分で正午を指そうとした時、いよいよフレッドと私の番が来た。
名前を呼ばれて、弁護士のディーンと、今日の通訳を担当してくれるよし子さんと一緒に前に進み出る。
この、今私を担当してくれているディーンも、日系二世のアメリカ人。応援に駆け付けてくれたヨーコさんも含めて、小綺麗に身なりを整えたサンフランシスコからの日本人四人組は、このラフなラティーノ・ブラックで埋る空間の中ではハッキリ言って浮きまくっていた。
判事の前に進み出て、厳かな宣誓と共に審議の時間が始ると、今回もフレッドが、天ぷらを食べて来たのかと感心する程、絶好調な口振りでペラペラ捲し始めた。
彼もまた、弁護士などは付けていない口の一人である。 そしてまた今回も、あの阿呆のフレッドの素晴らしい想像力にはほとほと感心させられた。
彼の口が開いた途端、そこからは次々に、私本人さえも知らなかった、数々の『過去の私の武勇伝』が飛び出して来た。
そうだったのか‥。日本にいた頃の私といえば、ドラッグの売買に手を染めて、その中毒にボロボロになりながら、さらに、アルコール中毒にも苦しむ辛い過去を潜り抜けて来た哀れなヤツだったのか。
はて‥?記憶喪失にでもなったのかしら?そんな凄まじい過去の時間も、本人の記憶にはさっぱり残っていない。今、初めて彼に聞いて知る事が出来た『私の暗い過去』。わざわざ教えて頂いて、彼にはお礼を申し上げなければいけない。
‥なんて。そんなシュールな日本人がいたならば是非一度お目にかかってみたいものだ。
彼も、エンジニアなどという技術畑の仕事ではなくて、もっと、その創造性を生かせる職業についていたなら、案外、莫大な大成功を納めていたかもしれない。
これは皮肉や冗談で言っているのでは決してなく、真摯に『心から』敬意を持ってそう思う。
そうして一通りの筋を話し終えると、フレッドは、またその素晴らしい想像力に拍車をかけて行くように、今度は御丁寧にも、最近ビジテーションのベビーの受け渡しに立ち会ってくれるジョシュアについても似たようなストーリーを作り上げて、気の遠くなる様な暴言を吐き出した。
「そんな友人が周りにいる女の生活環境は、ベビーにとって安全な物ではない。自分は彼女に、定期的なドラッグ検査を受ける事を要求する」
そこにいる物が、皆呆れてこの大ほら吹きの話しが終わるのを待つ間、思わず判事の目の中に走る笑いが見えた。
『桜吹雪』は、このアメリカでも健在のようである。結局今回『も』ママさんチームの勝ちだった。
今日の判事の判決では、次のコートまでの一時的な物ではあるけれど、ベビーと一緒に暮らす権利のフィジカル・コストディーは、全て私が頂く事となった。
サンフランシスコに帰るフリーウエイの道中、コートの過程を聞いていたジョシュアが、開口一番、
"we got a job to teach him that the lier in the court will be sent to the prison to be a wife of a big black guy!"
(コートで嘘を並べたてるようなヤツの運命なんざ、刑務所に送られて、でっかいブラックのホモの餌食にされるのがお決まりだってこと、フレッドに教えてやらなきゃな)
なんてことを言い出した。
それに続いて、早速『ジョシュア・リベンジプラン#1』が彼の口からこぼれ始めた。
サンフランシスコのFMステーションの中には、結構えげつない番組がオン・エアされている。そんな中、最近彼が気に入って聞いているのが、今、サンフランシスコの街中で見かける、大きな看板に、二人のでっかいお腹をしたヌードの男性が向かい合って写り、『モーニングシックネス・コンテスト』(つわりコンテスト)なんて歌っている番組だ。
そこでは知り合いの生活や秘密を暴露して、そして更に、面白可笑しくえげつない枝葉を付けながら、その『生け贄』を料理して行くコーナーがある。
一度ターゲットに取り上げられてしまうと、もう御愁傷様としか言い様のない悲惨な目にあわされるのがここでは当然のお約束。その人の元には、寝起きろうが仕事中だろうが、突然ラジオからインタビューの電話が入り、露骨な質問が飛んで来る。そしてそのびっくり箱は、後からラジオでベイエリア中にオンエアされて、中には暫く友達の前にも顔を出せなくなる人もいるというのだから、洒落で済まされる話じゃない。
全くアメリカ人というのは、目的の為には『ここまでやるか‥!!?』ってな事でも、案外平気でやっちゃうもので、玉子が先か鶏が先か?法の規制の厳しさも、ここらへんのイタチゴッコが全てを物語っていたりする。
「コートが一段落したら、フレッドが今まで君にして来た仕打ちを一切まとめて、レポート投書するからね。」
そんな事を真顔で話すジョシュア君。
どこまで本気なのかは彼のみぞ知るトコロである。
そうして帰りの道中は、涙を流し、二人で気違いのように笑い転げながらフリーウエイを帰って来た。
もし、途中でCHPに車をとめられてたりしたならば、その『ハイ』さ加減に間違いなく、それこそ『ドラッグ検査』なぞを要求されて、フレッドに次のコートで恰好の材料を与えていた事だろう。
窓の外に目をやると、頭の上には雲一つないカリフォルニアブルーの空が広がっていた。
明日も天気になるといい。
今日は久し振りに、弁護士と、ケースの進行具合についてミーティングを持つ事が出来た。
ディーンのオフィスに通されて、どうにも臍の落ち着きの悪い深々としたクライアント用の椅子に腰を下ろすと、開口一番、先日からティファニーが進めてくれていたVAWAのビザの申請が、やっと移民局に承認されたという嬉しい報告を聞いた。
これからは、グリンカードと労働許可証の申請に取り掛かって行くという。
これで私の身の置き所にも一つの区切りが着いたようで、ほんの少しほっとした。
しかし、まだまだ道のりは遠い。
何といっても最終のゴールにあるのは、このアメリカの永住権、『グリンカード』の取得である。これを取らない内には、仕事をするのにもいちいち、移民局に、労働許可証明なる物をまた別に申請しなければいけない。
このアメリカのお役所仕事の事、これからのプロセスにいったいどれだけの時間がかかって行くのか‥。
基本的に、会社にかかってきた電話を、なるべく自分の責任から遠い所にたらい回しにするのがアメリカ人だと思っている。
何しろ、今いるアパートメントを紹介してくれた日本人エージェントの口癖が、『なにせ、アメリカ人のする事ですから。』‥うーん。
まだまだ道のりは果てしなく、遥か遠くの彼方まで続いて行く予感がする。
「今年の終わりまでには、労働許可証がおりればいいね。」
焦る心を見すこすように、ふいにディーンがニッコリ笑って言った。
なんとも『頼もしい』お言葉である。とほほ‥。
まあ、何はともあれ、とにかくここでVAWAが無事承認されたということは、このサンフランシスコ生活の中に刻むとても大きな第一歩となった。ディーンのちょび髭顔に飛び付いてキスなんかしちゃうのは遠慮しておくにしても、今は、スキップしながらオフィス中を駆け回りたい気分だ!
一通りビザの話を終えると、今度はおまけのキャンディーをくれるように、ディーンが手に持ったファイルの中から一枚の書類を取り出した。
「サプラーイズ!」
ふざけた調子で彼から手渡された書類に目を通してみると、それは判事のサイン入りの、正式な離婚の証明書だった。
暫く前のコートでは、フレッドが『アノーメント』ー結婚の事実を取り消す申請ーを出していた。『この結婚については、自分はこの日本女性に騙されたような物で、これは無効にするべきだ‥うんぬんかんぬん。』
しかし、当然そんなお馬鹿で自分勝手な言い分がこのアメリカ版桜吹雪の下で通る筈もなく、そんな彼の申請は、その場で呆れ顔をした判事から、思いっきりの却下を食らっていた。
‥と、ここまでは、裁判の成り行きも何とか把握が出来ていた。
しかし、それから後の離婚の審議に入ってくると、早口の英語で専門用語が飛び交う中、正直言って、私にはもはや何が何だかさっぱりついて行く事が出来なかった。
コートがお開きになった後も、次のクライアントとのミーティングに向けてピリピリバタバタしているディーンに、暢気に説明なんぞをお願い出来る雰囲気ではなく、結局、その日はうやむやのままコートを後にした次第だった。
本来、カリフォルニアの法律によると、一旦離婚を申請してから完全に離婚が成立するまでには、六ヶ月の据え置き期間が置かれるという。
気軽に結婚離婚を繰り替えす直情型のアメリカ人。途中で気が変わってまたくっ付いちゃうなんてこともままあるようで、それをまた、『いちいちコートで相手なんてしてられないよ』といった所のシステムだったりするのだろう。
私も、このフレッドとの離婚についてはまだまだ時間がかかる物だと、少々ダークな気分になっていた。
しかし、寝耳に水で飛び込んできたこの嬉しいお知らせ。さっきのスキップに加えて『バンザイ三唱』もおまけに付けたい気分である。
どうやら私の場合、この『六ヶ月の据え置き期間』の中には、結局、シェルターに逃げていた期間などもカウントされていたようだ。
思いもかけず、晴れてひとり身に戻った私。世界中の自由をこの手に掴み、空にも飛んで行けそうだ。
アパートメントに戻ると、早速この報告をクリスにメールした。今ではもう彼も、すっかりわたしの生活の中にいる。
相変わらずの殺人的なスケジュールの中では、普通の恋人たちのように、それ程頻繁に顔を合わす事は出来ないのだけれど、しかし、たまーに気が向けば、‥と言うより、『仕事の帰りに余力があれば』、シフト明けのその足で、部屋に立ち寄って行くようになった。
最近のクリスは、私が作る『シャパニーズフード』が痛くお気に入りのご様子だ。
箸の使い方もなかなかサマになって来た。
卵焼きや肉じゃがなど、何でもない日本のお惣菜にいちいち感動し、『これは何?』と珍しそうに、青い瞳をクルクルさせながら聞いて来る。そしてまた、その先入観の無い異食文化に対する興味からは、今までこちらが思ってもみなかった独創的なアイデアが飛び出して来るから面白い。
緑茶には必ず砂糖を入れる。ご飯はおかずと食べる物じゃなくてマヨネーズと醤油をかけるとそれで立派な一品扱い。スティックサラダだろうが餃子だろうが、何にでも取り合えず海苔を巻いてみる‥等々。
これがまた真似してみると、なかなかイケてしまったりもする。
しかし、そんな彼の『お気に入り』の中でも、ぜひ止めておきたい物は一つある。それは、オカカのおにぎりを、ドロドロになるまで紅葉おろしを加えたポン酢にたっぷり浸して食べる事。
見ているだけで高血圧に魘される。うーん。
今日Eメールを受け取ると、早速クリスは仕事の帰りに寄ってくれた。
離婚のニュースに思いがけずご機嫌よろしく、『これで、一つの壁が消えたね。』なんて、ニッコリ笑って言ってくれた。
ふーん‥。少しは気にしてくれてたんだ。
真直ぐな瞳に心がほかほかあったかくなった。